2015年2月4日水曜日

道徳の授業内容が変更になるようで・・・。

はい、どうも、うにだすです。
2015/02/04の新聞記事で、道徳の授業の内容について変更をするということが載っていましたね~。
本来「道徳」として教えなければならないのは、「他者への感謝」と「自分以外の存在に対し思いをはせること」、「相手が何者であるかを考えること」(※相手のことを考えるということ)というような、自分(個人)と他者(社会)との関係性を事実ではなく精神論として捉えていく見方・考え方です。

すぐに、「今の若者は・・・」という言葉が出ますが、道徳的な感情・考え方が欠落しているのは、昔からあったわけです。ただ、最近はひどくなってるような気がするのも確かです。

そこで、学校教育の中に入れるということになります。このこと自体は大変良くて、小さいうちにすりこみしておけば、大人になっても心の中の抑止力として働きます。そういう期待ができますよねw

昔は、近所のおじさん・おばさんや親戚の人、または、お寺や神社などでの説法等で触れる機会がありましたが、いまは「親」だけですね。その「親」も小さいときに触れていませんから、何が正しくて間違ってるかを教えることができなくなっています。個別の対応ではなく「一本しっかりとしたもの」を教えることができなくなっています。

では、どこで教えるか?今となっては、幼稚園・小学校しかないんですねw。

ということで、国としては義務教育である小学校において道徳の授業を行うということになります。
まぁ、行政としては当たり前の対応ですねww

しかし、問題は「何を教えるのか?」、「どこにその思想を誘導するのか?」というところになります。
今現在の知識を持って、「ああすればいい」ということはできます。しかし、始まって30年ぐらいたつと、その制度下で育った人が大人になります。ということは、そのときの状況は現在とは変わっているんですね。
小学校から強制的に触れさせられている人の感覚というのはまだやっていないので予想するしかありません。しかし、30年後の状況を的確に予想することは不可能です。
となると、現在の国(政府)に都合のいい内容ですすむ可能性が出てきます。
これが危ないところですね。

授業をすること。そのものは大変すばらしいですが、内容が気になります。そして、いわゆる「塾」で行政側にとらわれない「道徳」を教えるというのもあっていいかと思います。

どちらにしても、「親」・「大人」・「社会」がしっかりしていないと、正しいことは教えれませんので、みなさんが、がんばって欲しいところですね。

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