2016年8月3日水曜日

老害という発想

はい、どうも、うにだすです。
「老害」という言葉があります。
一般的な意味は、組織が老朽化して役に立たなくなっている状態のことを言います。

そこから、老いて役に立たない人のことを総じて「老害」というようになっています。

でもね、少し待ってください。「老いる」ということそのものが「能力の低下」を指しています。年齢を重ねることで低下することを「老化」と呼ぶのを忘れないでください。

問題は、「老いている」ということを自覚していない「老人」が多数いることですね。

「老いている」から活動的になってはいけない?いやいや違います。「老いている」からこそ活動的にならないといけません。
この場合の活動とは「働く」ことばかりではありません。今までできなかった趣味や、時間が取れるからこそできること(散歩・ボランティアなど)に積極的に参加して「活動」しないといけません。

では、若者から「老害」と思われる要因は何でしょうか?

単純に若者の「活動」する場所で老人が「活動」する。つまり範囲がかぶっているんですね。
さらに、かぶる以上衝突があるわけです。ここに反発心が生まれるので「老害」という思いが出てきます。

今回の都知事選(2016/07/31投開票)の候補者の年齢をみると60歳以上の方が有力候補として上げられていましたねw。
もちろん、年齢は本来は関係ありません。
が、しかし、歳いってるからと言って「熟成」されているとは限らないんですねw
人それぞれです。
しかし、「老い」は必ず生きてきた年数に応じてその人にのっかかってきます。
そのことに気付けているかどうか?そして、気づいて活動方法を変えているかどうか?
このことについてもっと、自分から気にしてほしいと切に思います。

すべての人に考え理解が及べば、いま日本で問題になっている「老害」に関する部分は解消されると思っています。

「老人を大切にせよ」だけでは、現代の社会は成り立たない。ということを認識してほしいですね。

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